【人生論】20代で無職を経験した人が語る考え方のまとめ
この記事では世の中の人が無職やぐーたらと人生を送っている人に対する「世間帯の見方」を私が無職の時に感じた事を簡単にまとめました。「無職の人達の独自の主体性が世の中からどんな見方をされているのか?」私が感じた経験談になります。色んな見方や考え方がありますが、人の見方はそれぞれです。ちょっとでも気になった方の参考になる記事になればと思います。
仕事を持つのが当たり前と考えている人が世の中に多い
高校を卒業して大学に入学し、真面目に勉強して留年せずに新卒で会社に入社しました。世の中の人が大体新社会人になる中で私もみんなが進む道へと一歩一歩足を踏み出していました。ところがどっこい、自分の意志で仕事を辞めました。
仕事を辞めたとたん、周りからの心配の声を多くかけてもらいました。
「これからどうするの?」
「仕事しないで大丈夫?」
「え!?次の仕事決まってないの?」
こんな感じで、私の周り人は他人を自分のことのように心配してくれる温かい心の持ち主が沢山いました。
無職とニートに対して世間体が冷たい傾向にある
同じ年代の子とあった時、仕事をしている人が大半でした。アルバイトで生計をたてている人からは同じような人種の分類にあたいされていましたが、正社員でバリバリ働いている大卒の子達にはすこし冷たい目線で見られていました。
不安そうな目と心配そうな言葉がけから私は読み取ることが出来ました。他の人はどうかわかりませんが、仕事をしないで生きるという感覚が日本人にはあまりないのかもしれません。私も仕事を辞めてから気づきましたが、仕事を辞めても自分の気持ちに気楽さと自信のない根拠があれば何とか生きていけると感じます。
無職の友達と仲良くなることが出来る
「類は友を呼ぶ」
類は友を呼ぶ – ウィクショナリー日本語版 (wiktionary.org)
まさに無職の「類とも」です。「類は友を呼ぶ」法則で自分と同じ環境の友人(無職か学生かフリーター)がどんどん増えました。今まで知り合ったことのない子達と知り合えてとても楽しかったです。40代、50代でも仕事をやめて学生をしている人もいました。年齢は関係ありません。普通と言われている道を外れている人達(自分の好きなことをしている人)が意外と結構います。
国が違うと文化も違いますが、無職の世界をふらついている人が結構います。
無職になると両親がすごく心配した後に、諦めて何も言わなくなる
両親に仕事を辞める前に相談すると引き止められそうだったので、結果報告として仕事を辞めた後に両親に辞職届を提出したことを話しました。つまり自己判断がゆるぎなく自分の意思決定を突き通した感じです。最初は心配してくれましたが、意外と応援してくれました。
「人生1度しかないので好きなことしてみなさい。」と最終的には背中を押してもらいました。
父は飲み会の時に私が仕事辞めたことをネタとして楽しそうに話してました。実家の基盤があったからこそ、仕事をやめようと決意した面もあります。
自分の人生は自分で責任を持って行動することの
仕事を退職した次の日にNY行の飛行機に乗って旅行をスタートさせました。退職届を出す前に、飛行機の航空券を取ってしまったため、引き継ぎをギリギリまでしてました。結果論、仕事は何とかなります。引継ぎも全部出来なくても意外と何とかなります。自分で決断したのだから、結果は自己責任になります。人生には色んな決断をするタイミングが何度もやってきますが、自分が決断した結果が今の自分です。責任を持つことの重要性を改めて感じました。
【人生論】20代で無職を経験した人が語る考え方のまとめ
仕事を持つのが当たり前と考えている人が世の中に多い
無職とニートに対して世間体が冷たい傾向にある
無職の友達と仲良くなることが出来る
両親がすごく心配した後に、諦めて何も言わなくなる
自分の人生は自分で責任を持って行動すること
結果として、私は早いうちに「仕事をしない」という決断をしてよかったと感じます。自分が仕事をしないことで得られた「他人からの見方」や「自分の世の中に対しての思い込み」などがクリアになった時期でもあります。仕事をしない無職の時期を経て、その後転職を2度経験をして得られたことも沢山あります。空白の時間が色んな人生の積み重ねをした人たちと出会わせてくれた時間でもありました。